今回ご紹介するのは「ふたつのしるし」(著:宮下奈都)です。
-----内容-----
「勉強ができて何が悪い。生まれつき頭がよくて何が悪い」
そう思いながらも、目立たぬよう眠鏡をかけ、つくり笑いで中学生活をやり過ごそうとする遙名。
高校に行けば、東京の大学に入れば、社会に出れば、きっと―。
「まだ、まだだ」と居心地悪く日々を過ごす遙名は、“あの日”ひとりの青年と出会い…。
息をひそめるように過ごす“優等生”遥名と周囲を困らせてばかりの“落ちこぼれ”ハル。
「しるし」を見つけたふたりの希望の物語。
-----感想-----
遥名とハルの二人の物語が交互に展開されていきます。
ハルの物語の最初は、小学一年生の春、5月。
ハルこと柏木温之(はるゆき)はかなりの変わり者です。
他人の話しかけてくる声に反応しません。
担任の渡辺先生が話しかけても反応しませんし、クラスメイトの横山寧々という子が話しかけても反応しません。
完全に自分の世界に入ってしまっている子でした。
ハルは何もしなかった。できなかった。やろうとしなかった。どのように思われても本人はかまわなかった。なにしろ彼の心はそこになかった。
ただ一人、浅野健太という子だけがハルの心に触れることができていました。
健太にはわかった。これがしるしだ。ハルのしるしを、俺はちゃんと見つけた。
物語の最後まで関わってくることになる、ハルの貴重な友達です。
遥名の物語の最初は中学一年生になって一ヶ月ほど経った頃。
遥名の中学校は荒れていて、遥名はできるだけ大人しく過ごしていました。
とにかく波風が立たないように、細心の注意を払ってクラスの子と接しているのですが、そういったことを一切考えずに言いたいことを言う里桜(りお)という子がいて、遥名はペースを乱されていました。
だから、お願い、なんとか合意を得ようとしている型を壊さないで。
ぜんぜんちがう。思っていた中学生活とぜんぜんちがう。もっとほんとうのことに近づいてもいいんだと思っていた。
里桜は遥名が言いたいことを言わずにバカっぽく振る舞って無難に取り繕っていることを見抜いていて、鋭く指摘してきます。
「遥名はほんとうは頭がいいのに、なんにもわかんないふりしてる」
普段は作り笑いを欠かさない遥名もさすがにイラついて素が出そうになっていました。
また、この話では5月の晴れた空がピンク色になっている場面がありました。
これはハルのほうの物語の最初にも出てきていて、二人が同じものを見ていることを意味しています。
なので、小学一年生のハルと中学一年生の遥名で遥名のほうが6歳年上だということが分かりました。
ハルは中学生になります。
声変わりは始まっておらず、歯もまだ乳歯が残っていたくらいで、まだまだ子どもです。
ハルにとって貴重な友達の浅野健太はサッカー部で活躍していました。
ふとしたことでハルへのいじめが起きた時、浅野健太が激怒していじめっ子を殴っていました。
ハルのことでそこまで怒ってくれる浅野健太にハルの心も動かされていて、こういう友達は一生大事にするべきだと思いました。
そんな友達に巡り会えたことがハルの幸運だと思います。
この話ではハルの小学校の同級生だった花井さんという女の子の話が興味深かったです。
六年生が昼休みに体育館を使える金曜日、クラスでするのはドッジボールと大縄跳びのどちらがいいかという議題のときに、花井さんは読書と発言していました。
もちろん一人だけなので意見は通らず、やがてドッジボールに決まって男子たちが盛り上がっている時に、花井さんは以下のことをつぶやいていました。
「みんなでドッジボールやらなきゃいけないなんて、そんなの休み時間じゃない」
ハルは花井さんの隣の席だったため、このつぶやきが聞こえていました。
そしてハルは胸中で以下のように言っていました。
たしかに、そんなのはぜんぜん休みにならない。学級会で決まったことが正しいわけではないのだ。大きな声でいえるほうが強いけれど、弱いからといって間違っているわけではないのだ。
花井さんの意見もハルの意見も、全くそのとおりだと思います。
授業ではなく休み時間なのだからやりたい人達で好きなだけやれば良いのに、無理やりクラス全員強制参加というのは明らかに変です。
ドッジボールのしたい人達は盛り上がって楽しい休み時間になるのでしょうが、やりたくない人達には大迷惑だし、休み時間を潰されてしまうことになります。
浅野健太の「働き蟻」の話も興味深かったです。
働き蟻全体のうち、働いている蟻は八割くらいで、二割くらいは働かずに怠けている蟻がいます。
怠けている蟻を取り除けば、全員が働く蟻のはずなのに、残った働き蟻のうちのまた八割しか働かなくなってしまいます。
それは「いざというとき」のためで、いざというときに、その自由な蟻たちが力を発揮するとのことです。
健太はこれを例にして、「おまえはいざというときのための人間なんだ」とハルのことをなぐさめてくれていました。
ほんと良い友達だなと思います
遥名が大学生になって半年近くが経ちます。
遥名は自分の性格にちょっと嫌気が差しているようでした。
何かを上手に避けたり、ぽんと飛び越したりする人が素直にうらやましかった。
同じクラスの沖田という男と食堂で話している場面がありました。
沖田はアーチェリー部で、「矢がどこへ飛んでいくかは、放たれる瞬間にほぼわかっちゃってるんだ」と言っています。
そしてその矢の軌道の話になぞらえ、遥名がこれからどこへ飛んでいくのかも見える気がすると言っていました。
しかも沖田の予想した遥名の未来はあまり良くないです
遥名のほうは、
たとえば風がかすかに吹いただけで影響を受け、矢の行方は変わる。これからいくらでも風は吹くだろう。勝負は過去だけで決まるものじゃない。
と、自分の未来に自信を持っているようでした。
遥名はずっと、自分はこれからなんだと思っています。
中学時代なんていざというときじゃなかったのだ。ひたすら身を潜めていたなさけない思春期は、使い途がないわけじゃない。きっとその後のいざというときのためにある。まだ遥名にはそのときが来ていないだけだ。
これからなんだ。遥名は自分にいい聞かせる。いざというときはこれから来る。そのときに全力で迎え撃てるような準備をしていこう。
ハルは高校生になります。
既に一年留年していて、その後に大きな出来事があって、それが引き金になったのか放浪するようになりました。
遥名は社会人になり、入社三年目を迎えます。
大野さんという呼称が出てきて、フルネームは大野遥名だと分かりました。
遥名の生々しい胸中が描かれていて、宮下奈都さんがこんなちょっと醜い胸中を描くとは意外でした。
いつもはもっと綺麗な物語を書いている人なので、新たな作風への挑戦のような気がしました。
ハルは25歳になり、電気の配線工をやっています。
もともと地図が好きだったハルは、「図面」に才能を発揮します。
意図だとか、目的だとか、つながりだとか、言葉で説明しようとするととても面倒なことが、整然と表されている。まったく無駄のない、でも非常に親切な図面だと感じた。
統制のとれていなかった場所に、線を引く。混沌としていたところに、道が現れる。何もないところに、電気が通る。その道筋を、たどっていく。紙の上に線を引く。そこに秩序が生まれる。
これらのハルの考え方は凄いと思いました。
私も電気に関わる仕事で図面を書いたことがあるのですが、とてもこうは考えられませんでした。
まさに図面が大好きな人の考え方で、ハルにはこれが天職なんだというのがよく分かりました。
また、この頃になると二人がついにお互いの姿を見かける場面が出てきました。
それに伴い、それぞれの章の始めにある「ハル」「遥名」の表記が後半になるとなくなります。
遥名は32歳になっています。
最初は中学一年生だったので、20年近い月日が経っています。
26歳になったハルも登場し、ついに二人が会話を交わすことになります。
「ちょう」という、ちょっと、を意味する遥名の地元の方言はどこの方言なのか気になりました。
宮下奈都さんの出身地の福井県かなとも思いました。
最後の章では浅野健太が登場していました。
変わらずハルの友達でいてくれて何よりです。
また、作品タイトルの「ふたつのしるし」が深い意味を持っていたことも分かりました。
勘についての遥名の考えは興味深かったです。
「何の前触れもなく突然ひらめくようなことって、実はそんなにないんだと思うのよ。意識してるかどうかは別として、それまでにいっぱい準備があって、考えたり体験したりしたことの積み重ねの先に、ぱっとわかることがある。それが勘ってものよ」
経験から来る勘というわけです。
この作品は約30年に及ぶ長い時間の物語になっていました。
ハルと遥名の二人の歩んできた人生は順風満帆ではなかったですし、特にハルは最初は完全に自分の世界に入っていて他人の言葉に反応しないような子でした。
遥名もレビューでは書いていませんが大きな失敗を経験しています。
そんな二人が、それぞれ苦しい時期を乗り越え、やがて巡り会っていったのを見ると、長い人生には辛いことだけでなく良いこともあるんだということを感じました。
さすがに宮下奈都さんの作品だけあって、感情の描写が繊細で読んでいて心に染み込んでくるような物語でした。
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-----内容-----
「勉強ができて何が悪い。生まれつき頭がよくて何が悪い」
そう思いながらも、目立たぬよう眠鏡をかけ、つくり笑いで中学生活をやり過ごそうとする遙名。
高校に行けば、東京の大学に入れば、社会に出れば、きっと―。
「まだ、まだだ」と居心地悪く日々を過ごす遙名は、“あの日”ひとりの青年と出会い…。
息をひそめるように過ごす“優等生”遥名と周囲を困らせてばかりの“落ちこぼれ”ハル。
「しるし」を見つけたふたりの希望の物語。
-----感想-----
遥名とハルの二人の物語が交互に展開されていきます。
ハルの物語の最初は、小学一年生の春、5月。
ハルこと柏木温之(はるゆき)はかなりの変わり者です。
他人の話しかけてくる声に反応しません。
担任の渡辺先生が話しかけても反応しませんし、クラスメイトの横山寧々という子が話しかけても反応しません。
完全に自分の世界に入ってしまっている子でした。
ハルは何もしなかった。できなかった。やろうとしなかった。どのように思われても本人はかまわなかった。なにしろ彼の心はそこになかった。
ただ一人、浅野健太という子だけがハルの心に触れることができていました。
健太にはわかった。これがしるしだ。ハルのしるしを、俺はちゃんと見つけた。
物語の最後まで関わってくることになる、ハルの貴重な友達です。
遥名の物語の最初は中学一年生になって一ヶ月ほど経った頃。
遥名の中学校は荒れていて、遥名はできるだけ大人しく過ごしていました。
とにかく波風が立たないように、細心の注意を払ってクラスの子と接しているのですが、そういったことを一切考えずに言いたいことを言う里桜(りお)という子がいて、遥名はペースを乱されていました。
だから、お願い、なんとか合意を得ようとしている型を壊さないで。
ぜんぜんちがう。思っていた中学生活とぜんぜんちがう。もっとほんとうのことに近づいてもいいんだと思っていた。
里桜は遥名が言いたいことを言わずにバカっぽく振る舞って無難に取り繕っていることを見抜いていて、鋭く指摘してきます。
「遥名はほんとうは頭がいいのに、なんにもわかんないふりしてる」
普段は作り笑いを欠かさない遥名もさすがにイラついて素が出そうになっていました。
また、この話では5月の晴れた空がピンク色になっている場面がありました。
これはハルのほうの物語の最初にも出てきていて、二人が同じものを見ていることを意味しています。
なので、小学一年生のハルと中学一年生の遥名で遥名のほうが6歳年上だということが分かりました。
ハルは中学生になります。
声変わりは始まっておらず、歯もまだ乳歯が残っていたくらいで、まだまだ子どもです。
ハルにとって貴重な友達の浅野健太はサッカー部で活躍していました。
ふとしたことでハルへのいじめが起きた時、浅野健太が激怒していじめっ子を殴っていました。
ハルのことでそこまで怒ってくれる浅野健太にハルの心も動かされていて、こういう友達は一生大事にするべきだと思いました。
そんな友達に巡り会えたことがハルの幸運だと思います。
この話ではハルの小学校の同級生だった花井さんという女の子の話が興味深かったです。
六年生が昼休みに体育館を使える金曜日、クラスでするのはドッジボールと大縄跳びのどちらがいいかという議題のときに、花井さんは読書と発言していました。
もちろん一人だけなので意見は通らず、やがてドッジボールに決まって男子たちが盛り上がっている時に、花井さんは以下のことをつぶやいていました。
「みんなでドッジボールやらなきゃいけないなんて、そんなの休み時間じゃない」
ハルは花井さんの隣の席だったため、このつぶやきが聞こえていました。
そしてハルは胸中で以下のように言っていました。
たしかに、そんなのはぜんぜん休みにならない。学級会で決まったことが正しいわけではないのだ。大きな声でいえるほうが強いけれど、弱いからといって間違っているわけではないのだ。
花井さんの意見もハルの意見も、全くそのとおりだと思います。
授業ではなく休み時間なのだからやりたい人達で好きなだけやれば良いのに、無理やりクラス全員強制参加というのは明らかに変です。
ドッジボールのしたい人達は盛り上がって楽しい休み時間になるのでしょうが、やりたくない人達には大迷惑だし、休み時間を潰されてしまうことになります。
浅野健太の「働き蟻」の話も興味深かったです。
働き蟻全体のうち、働いている蟻は八割くらいで、二割くらいは働かずに怠けている蟻がいます。
怠けている蟻を取り除けば、全員が働く蟻のはずなのに、残った働き蟻のうちのまた八割しか働かなくなってしまいます。
それは「いざというとき」のためで、いざというときに、その自由な蟻たちが力を発揮するとのことです。
健太はこれを例にして、「おまえはいざというときのための人間なんだ」とハルのことをなぐさめてくれていました。
ほんと良い友達だなと思います
遥名が大学生になって半年近くが経ちます。
遥名は自分の性格にちょっと嫌気が差しているようでした。
何かを上手に避けたり、ぽんと飛び越したりする人が素直にうらやましかった。
同じクラスの沖田という男と食堂で話している場面がありました。
沖田はアーチェリー部で、「矢がどこへ飛んでいくかは、放たれる瞬間にほぼわかっちゃってるんだ」と言っています。
そしてその矢の軌道の話になぞらえ、遥名がこれからどこへ飛んでいくのかも見える気がすると言っていました。
しかも沖田の予想した遥名の未来はあまり良くないです
遥名のほうは、
たとえば風がかすかに吹いただけで影響を受け、矢の行方は変わる。これからいくらでも風は吹くだろう。勝負は過去だけで決まるものじゃない。
と、自分の未来に自信を持っているようでした。
遥名はずっと、自分はこれからなんだと思っています。
中学時代なんていざというときじゃなかったのだ。ひたすら身を潜めていたなさけない思春期は、使い途がないわけじゃない。きっとその後のいざというときのためにある。まだ遥名にはそのときが来ていないだけだ。
これからなんだ。遥名は自分にいい聞かせる。いざというときはこれから来る。そのときに全力で迎え撃てるような準備をしていこう。
ハルは高校生になります。
既に一年留年していて、その後に大きな出来事があって、それが引き金になったのか放浪するようになりました。
遥名は社会人になり、入社三年目を迎えます。
大野さんという呼称が出てきて、フルネームは大野遥名だと分かりました。
遥名の生々しい胸中が描かれていて、宮下奈都さんがこんなちょっと醜い胸中を描くとは意外でした。
いつもはもっと綺麗な物語を書いている人なので、新たな作風への挑戦のような気がしました。
ハルは25歳になり、電気の配線工をやっています。
もともと地図が好きだったハルは、「図面」に才能を発揮します。
意図だとか、目的だとか、つながりだとか、言葉で説明しようとするととても面倒なことが、整然と表されている。まったく無駄のない、でも非常に親切な図面だと感じた。
統制のとれていなかった場所に、線を引く。混沌としていたところに、道が現れる。何もないところに、電気が通る。その道筋を、たどっていく。紙の上に線を引く。そこに秩序が生まれる。
これらのハルの考え方は凄いと思いました。
私も電気に関わる仕事で図面を書いたことがあるのですが、とてもこうは考えられませんでした。
まさに図面が大好きな人の考え方で、ハルにはこれが天職なんだというのがよく分かりました。
また、この頃になると二人がついにお互いの姿を見かける場面が出てきました。
それに伴い、それぞれの章の始めにある「ハル」「遥名」の表記が後半になるとなくなります。
遥名は32歳になっています。
最初は中学一年生だったので、20年近い月日が経っています。
26歳になったハルも登場し、ついに二人が会話を交わすことになります。
「ちょう」という、ちょっと、を意味する遥名の地元の方言はどこの方言なのか気になりました。
宮下奈都さんの出身地の福井県かなとも思いました。
最後の章では浅野健太が登場していました。
変わらずハルの友達でいてくれて何よりです。
また、作品タイトルの「ふたつのしるし」が深い意味を持っていたことも分かりました。
勘についての遥名の考えは興味深かったです。
「何の前触れもなく突然ひらめくようなことって、実はそんなにないんだと思うのよ。意識してるかどうかは別として、それまでにいっぱい準備があって、考えたり体験したりしたことの積み重ねの先に、ぱっとわかることがある。それが勘ってものよ」
経験から来る勘というわけです。
この作品は約30年に及ぶ長い時間の物語になっていました。
ハルと遥名の二人の歩んできた人生は順風満帆ではなかったですし、特にハルは最初は完全に自分の世界に入っていて他人の言葉に反応しないような子でした。
遥名もレビューでは書いていませんが大きな失敗を経験しています。
そんな二人が、それぞれ苦しい時期を乗り越え、やがて巡り会っていったのを見ると、長い人生には辛いことだけでなく良いこともあるんだということを感じました。
さすがに宮下奈都さんの作品だけあって、感情の描写が繊細で読んでいて心に染み込んでくるような物語でした。
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