今日5月3日は憲法記念日です。
日本国憲法が施行されてから今日で69年となります。
今朝の東京新聞には憲法記念日に際しての各党談話が掲載されていました。
この中で、共産党の小池晃書記局長の談話はかなり目を惹きました。
『市民、国民と力を合わせ、野党共闘を前進させる。憲法違反の安全保障法制を廃止し、立憲主義を日本の政治に取り戻すために、全力を挙げる決意を表明する。国家権力の暴走を許せば、独裁政治に道を開く。』
注目は一文目です。
市民、国民と力を合わせとありますが、わざわざ国民とは別に設けられ、しかも国民より前に書かれている゛市民゛とは誰のことを言っているのでしょうか?
国民とは別にしているところを見ると、日本国民以外の人達と見られます。
ちなみに憲法は「日本国民」の為のものです。
日本国憲法の序文にもそのことが書かれています。
外国人の人達は、日本に滞在する許可を得ていて、かつ日本に害をなす「反日活動」をせず日本に迷惑をかけないのであれば、日本に住むことは認められています。
しかし日本人ではないのですから、当然日本のことについて書かれた日本国憲法に口を出す権利はありません。
これは世界的に当たり前の話で、例えば国籍は日本のままアメリカに住む日本人がアメリカの憲法に口を出すのは筋違いであり、アメリカ人からすれば「こちらの憲法に文句があるのなら、自分の国に帰りなさい」となります。
なので共産党が談話で「市民、国民と力を合わせて憲法違反の安全保障法制を廃止し、立憲主義を日本の政治に取り戻す」ということを言っているのには強い違和感を持ちました。
憲法は「日本国民」の為のものなのですから、゛市民゛が外国人のことである場合、外国人と組んで「憲法違反の安全保障法制を廃止する」という政治活動をするのは大問題です。
外国人に憲法の解釈をさせそれに基づく政治活動をさせることになります。
安全保障法制に反対する政治活動をしたいのであればせめて「市民、国民」ではなく「国民」とすべきだと思います。
共産党には゛市民゛が誰のことを言っているのかも明らかにしてほしいです。
また最近の政治を見ていると、中身のない野党ほど具体的な政策論議を避けて「立憲主義が」「日本国憲法が」「民主主義が」と大きなことを言って論点をすり替える傾向があります。
民進党、共産党、社民党などはこの傾向がどんどん強まっていて中身の空っぽさに拍車がかかっている印象を受けます。
批判しかできず具体的な案を出せなかったりまともな議論ができない政党に政権を任せることはできないです。
なお、共産党は「憲法九条守れ」と主張していますが、私は憲法九条の改正を希望します。
共産党的な人達は必ず「戦争」という言葉を使って「憲法九条を改正すると戦争になりますよ、安倍晋三首相は戦争をしようとしてますよ」という方向に持っていこうとする特徴があります。
さらに、文字通り”戦争”を辞さない態度で”軍”を率いて武力で日本を始めとする他国の領土を侵略しようとする中国については一切を見ないようにして何も言わず、日本が中国の侵略から国家国民を守ろうとする時だけ「戦争反対!」と叫ぶという特徴もあります。
極度に憲法九条を崇拝する人達によく見られる決定的な矛盾です。
こういった人達は中国のように武力で日本の領土を侵略してくる国があるという現実を見ておらず、また最初から見ようともしていないのだと思います。
武力によって問答無用で他国の領土を侵略しようとする中国を見れば明らかなように、憲法九条を盲目的に崇拝していたのでは国家国民を守ることはできません。
現実の一切から目を逸らし九条に縋り付くのではなく、領土を侵略してくる国がいるという目の前に迫っている危機に対応できる憲法にしてほしいです。
早期の憲法九条改正を願います。
※「憲法記念日2015」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「東京新聞5月4日の一面」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
日本国憲法が施行されてから今日で69年となります。
今朝の東京新聞には憲法記念日に際しての各党談話が掲載されていました。
この中で、共産党の小池晃書記局長の談話はかなり目を惹きました。
『市民、国民と力を合わせ、野党共闘を前進させる。憲法違反の安全保障法制を廃止し、立憲主義を日本の政治に取り戻すために、全力を挙げる決意を表明する。国家権力の暴走を許せば、独裁政治に道を開く。』
注目は一文目です。
市民、国民と力を合わせとありますが、わざわざ国民とは別に設けられ、しかも国民より前に書かれている゛市民゛とは誰のことを言っているのでしょうか?
国民とは別にしているところを見ると、日本国民以外の人達と見られます。
ちなみに憲法は「日本国民」の為のものです。
日本国憲法の序文にもそのことが書かれています。
外国人の人達は、日本に滞在する許可を得ていて、かつ日本に害をなす「反日活動」をせず日本に迷惑をかけないのであれば、日本に住むことは認められています。
しかし日本人ではないのですから、当然日本のことについて書かれた日本国憲法に口を出す権利はありません。
これは世界的に当たり前の話で、例えば国籍は日本のままアメリカに住む日本人がアメリカの憲法に口を出すのは筋違いであり、アメリカ人からすれば「こちらの憲法に文句があるのなら、自分の国に帰りなさい」となります。
なので共産党が談話で「市民、国民と力を合わせて憲法違反の安全保障法制を廃止し、立憲主義を日本の政治に取り戻す」ということを言っているのには強い違和感を持ちました。
憲法は「日本国民」の為のものなのですから、゛市民゛が外国人のことである場合、外国人と組んで「憲法違反の安全保障法制を廃止する」という政治活動をするのは大問題です。
外国人に憲法の解釈をさせそれに基づく政治活動をさせることになります。
安全保障法制に反対する政治活動をしたいのであればせめて「市民、国民」ではなく「国民」とすべきだと思います。
共産党には゛市民゛が誰のことを言っているのかも明らかにしてほしいです。
また最近の政治を見ていると、中身のない野党ほど具体的な政策論議を避けて「立憲主義が」「日本国憲法が」「民主主義が」と大きなことを言って論点をすり替える傾向があります。
民進党、共産党、社民党などはこの傾向がどんどん強まっていて中身の空っぽさに拍車がかかっている印象を受けます。
批判しかできず具体的な案を出せなかったりまともな議論ができない政党に政権を任せることはできないです。
なお、共産党は「憲法九条守れ」と主張していますが、私は憲法九条の改正を希望します。
共産党的な人達は必ず「戦争」という言葉を使って「憲法九条を改正すると戦争になりますよ、安倍晋三首相は戦争をしようとしてますよ」という方向に持っていこうとする特徴があります。
さらに、文字通り”戦争”を辞さない態度で”軍”を率いて武力で日本を始めとする他国の領土を侵略しようとする中国については一切を見ないようにして何も言わず、日本が中国の侵略から国家国民を守ろうとする時だけ「戦争反対!」と叫ぶという特徴もあります。
極度に憲法九条を崇拝する人達によく見られる決定的な矛盾です。
こういった人達は中国のように武力で日本の領土を侵略してくる国があるという現実を見ておらず、また最初から見ようともしていないのだと思います。
武力によって問答無用で他国の領土を侵略しようとする中国を見れば明らかなように、憲法九条を盲目的に崇拝していたのでは国家国民を守ることはできません。
現実の一切から目を逸らし九条に縋り付くのではなく、領土を侵略してくる国がいるという目の前に迫っている危機に対応できる憲法にしてほしいです。
早期の憲法九条改正を願います。
※「憲法記念日2015」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「東京新聞5月4日の一面」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。