今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第十回 初陣の奇跡」です。
-----内容&感想-----
毛利興元(おきもと)の急死により毛利本家の郡山城は興元の子でわずか2歳の幸松丸(こうまつまる)を城主として迎えます。
幸松丸の母の雪は元就に後見役になってほしいと頼み元就も引き受けます。
元就が自身は初陣も済ませていない若輩者で、そんな後見人で心配ではないかと聞くと、雪は元就に頼んだのは元就が興元と全ての悲しみを共に分かち合ったからだと言い、さらに次のように言います。
「悲しみの数が多い人間ほど、強うなれると思うておりまする」
これはそのとおりだと思います。
悲しむのは嫌なことですが、悲しい目に遭った人は人の痛みを知ることができます。
評定(ひょうじょう)で筆頭重臣の志道広良(しじひろよし)が元就が幸松丸の後見役になったことを伝えます。
すると重臣の井上元兼(もとかね)が「武田がこのまま黙っているとは思えず、尼子の動きも不気味だ。そんな時に初陣も済ませていない元就が後見役とは」と嫌味を言います。
揚げ足を取ったり場を白けさせることばかり言っていて嫌な人だと思います。
雪は相合(あいおう)元綱に「元就の弟のそなたには特に頼みたい。元就が幸松丸の右腕なら元綱は左腕だ。甥である幸松丸を助けてくれ」と言います。
相合の館で元綱は重臣の桂広澄(ひろずみ)に自身は誠心誠意幸松丸の左腕となって働くつもりだと言います。
さらに「毛利家は未だ強大な国人衆に囲まれその立場は磐石ではない、今こそ尼子経久(つねひさ)との絆を強くし、我等が毛利を立て直す旗頭となる準備をするべきではないか」と言います。
相合は元服したばかりなのにとても強気な元綱に感心していました。
経久の裏切りに遭った武田元繁(もとしげ)は密かに安芸制覇の準備を整えていました。
郡山城の西隣の今田に陣を張った武田の軍勢は多くの国人衆の参加により5500騎にまで膨れ上がっていました。
元繁はまず毛利吉川連合軍が落とし、毛利が吉川に譲った有田城を攻め落とし、有田城の東にある毛利分家の猿掛(さるかけ)城、そのさらに東にある毛利本家の郡山城をたっぷり恐怖させてから一突きにしてやると言います。
武田軍が有田城を包囲し、その知らせが毛利に届きます。
武田軍5500に対し毛利軍は吉川軍を入れても1500で4倍近い兵力差がありこのままでは勝ち目がないです。
出雲の月山富田城(がっさんとだじょう)では経久と正室の萩が毛利と武田の戦のことを話します。
萩が経久に「まず毛利に味方して武田を潰し、その後で毛利を攻めて城二つを頂戴しようとは考えないのか」と言っていて恐ろしい奥方だと思いました。
奥方も策略家だったのかと思いました。
経久は「今はまだその時ではない。戦においては何よりも時が肝心だ」と言い、いずれはそうするつもりなのだと思いました。
京都の大内義興(よしおき)の館に元兼からの合力(ごうりき)を願う書状が届きます。
義興は京都を引き上げると言います。
大内は毛利の援軍どころではなくなっていて、重臣の陶興房(すえおきふさ)は武田が経久に裏切られながらも大暴れしていて、すぐに帰国して大内の所領を治め直さないと危ないと言います。
義興がしみじみと「毛利も終い(しまい)か…」と言っていたのが印象的でした。
郡山城では元就と元綱が話していたところに重臣の渡辺勝(すぐる)が武田が民家に火を放ったことを知らせます。
武田軍は600騎が挑発をしに攻めてきていて、勝が出陣すると言うと元就が「無駄死にはまだ早い」と引き止めようとします。
元就が「勝の手勢は?」と聞いた時に「150」と答え微笑みながらお辞儀をし、即座に厳しい顔つきになって歩き出したのが印象的でした。
死を覚悟しているのが分かりました。
勝は150の手勢で4倍の武田軍を追い払いますが郡山城に大軍が攻め込んでくるのは時間の問題でした。
追い詰められた元就は機先を制して武田軍を撃滅しようと決意し、勝が部下達に弓矢の訓練をしているところに行きます。
元就がこの者達の引く矢で馬上の者を射殺せるかと聞くと、勝は30間(54.5455m)の距離まで近づければ必ず射殺して見せると言います。
元就が敵の大将の武田元繁をおびき出すから射殺してくれと言うと、勝は「おびき出せるはずがない。大将は常に後方にあるものだ」と言います。
すると元就は「元繁は元就など己一人の力で討ち取ってくれるといきり立つかも知れない」と言っていて、これはあるかも知れないと思いました。
元就は元繁の血の気の多い性格を読んでいました。
元就は杉のところに行き、若気の至りで辛く当たることもあったが許してくれと、明日の戦での死を覚悟した言葉を言います。
杉は元就が子供の頃奇抜な格好をしていた時に頭に結わえていた紐を保管していて、それを取り出して元就の兜に結わえて渡します。
「子供時代のように、悪さをするつもりで存分に楽しんでこい」という言葉に元就は勇気付けられます。
初陣での毛利元就。右上は大内義興、左下は尼子経久(画像はネットより)。
翌日毛利軍は吉川の援軍を加えてわずか1500の手勢で3倍以上の4800(残りの700は有田城の警固)の武田軍と向かい合います。
戦が始まり、元就の「一旦引いて敵をおびき寄せ、周りを囲んで一気に攻める」という作戦が上手く行き武田軍の有力な武将の熊谷(くまがい)元直を討ち取ります。
元繁は「こしゃくな毛利の若造め!」と激怒し周りの制止を振り切って出陣します。
毛利軍は再び一旦又打川(またうちがわ)という川の向こう側まで引き、元就は勝にいよいよ弓隊の出番だと言います。
元就は「元繁をおびき出す。川中まで来たらその時弓を引かせろ」と言い、決死の覚悟で「毛利元就見参!」と一人で武田軍の目の前に行き元繁を挑発します。
元繁は激怒して「わし一人で行って討ち取ってくれるわ!」と言い元就目掛けて突進し、そこを勝の弓隊の矢が襲い元繁を貫き討ち取ります。
元就の大活躍で圧倒的に不利だった戦を毛利軍が勝利します。
「元就のこの作戦は無謀なものでした。しかし鮮やかな結果によりこの有田城の合戦は西国の桶狭間と呼ばれるようになりました。これこそが知将、毛利元就の初陣だったのです」とうナレーションがとても印象的でした。
郡山城の評定で雪がよく戦ってくれたと礼を言い、重臣達が元就を絶賛します。
勝は今回の戦は元就の手柄だと言い、広良は敵の心の隙に付け込む戦術が見事だと言います。
元就が勝の育てた弓の達人達がいればこそだと言うと、勝は自身には到底人の心の動きは読めない、大将の武田元繁が先陣を切るとは思わなかったと言います。
福原広俊(元就の祖父)は元就の眼力に驚いたと言い、さらにたった一人で敵の大将をおびき出す勇気はとても初陣とは思えず、今に毛利に元就ありという噂が駆け巡るだろうと言います。
しかし元就は今回の元繁の死は流れ矢に当たったことにしてほしいと言い猿掛城に戻ります。
広良は元就のこの動きを初陣で元繁を討ち取ったと言われれば周辺の国人は恐れをなし早いうちに毛利を潰そうと動くため、それを阻止するのが狙いだろうと言います。
そして「早くも人の心を読んでおられる。これはまことに毛利を救う武将になられるやも知れぬのう」と言います。
「この時、志道は密かに毛利は元就に任せるべきだと確信したのです」というナレーションがあり、知将として頭角を現した元就の凄さを感じました。
この評定で元綱がずっと不機嫌な表情だったのも印象的で、元就ばかり持ち上げられることと戦で活躍できなかった自身とに苛立っているのだと思います。
元就は杉と久に「元就は嫌な人間じゃ」とぼやきます。
「人の弱いところを探し出しそこを突く。嫌な人間じゃ」と言うと杉が戦は武器だけではない、元就のような頭があればこそ大軍に勝利できたのではないかと言い、これは杉の言うとおりだと思います。
しかし元就は相手の心を読んで策略を立てる戦い方にまだ自身の心が付いていかなくて苦しんでいるのだと思いました。
経久のもとに元繁が毛利の流れ矢で死んだと知らせが来ると「何が流れ矢なものか」と言い、元就の仕業だと確信します。
そして「わしは動く。動くぞ」と言います。
今回は元就の凄さが印象的な回でした。
圧倒的に不利な状況でも策略を立てて毛利軍を勝利に導いていて、まさに知将の戦い方でした。
勝利しても浮かれず毛利が周辺の国人に警戒され潰されないように配慮していたのも印象的で、この慎重さがあるから元就は大内、尼子の大名や国人衆に囲まれた中で生き残り、やがて西国最大の戦国大名になることができたのだと思います。
各回の感想記事
第一回 妻たちの言い分
第二回 若君ご乱心
第三回 城主失格
第四回 女の器量
第五回 謀略の城
第六回 恋ごころ
第七回 われ敵前逃亡す
第八回 出来すぎた嫁
第九回 さらば兄上
-----内容&感想-----
毛利興元(おきもと)の急死により毛利本家の郡山城は興元の子でわずか2歳の幸松丸(こうまつまる)を城主として迎えます。
幸松丸の母の雪は元就に後見役になってほしいと頼み元就も引き受けます。
元就が自身は初陣も済ませていない若輩者で、そんな後見人で心配ではないかと聞くと、雪は元就に頼んだのは元就が興元と全ての悲しみを共に分かち合ったからだと言い、さらに次のように言います。
「悲しみの数が多い人間ほど、強うなれると思うておりまする」
これはそのとおりだと思います。
悲しむのは嫌なことですが、悲しい目に遭った人は人の痛みを知ることができます。
評定(ひょうじょう)で筆頭重臣の志道広良(しじひろよし)が元就が幸松丸の後見役になったことを伝えます。
すると重臣の井上元兼(もとかね)が「武田がこのまま黙っているとは思えず、尼子の動きも不気味だ。そんな時に初陣も済ませていない元就が後見役とは」と嫌味を言います。
揚げ足を取ったり場を白けさせることばかり言っていて嫌な人だと思います。
雪は相合(あいおう)元綱に「元就の弟のそなたには特に頼みたい。元就が幸松丸の右腕なら元綱は左腕だ。甥である幸松丸を助けてくれ」と言います。
相合の館で元綱は重臣の桂広澄(ひろずみ)に自身は誠心誠意幸松丸の左腕となって働くつもりだと言います。
さらに「毛利家は未だ強大な国人衆に囲まれその立場は磐石ではない、今こそ尼子経久(つねひさ)との絆を強くし、我等が毛利を立て直す旗頭となる準備をするべきではないか」と言います。
相合は元服したばかりなのにとても強気な元綱に感心していました。
経久の裏切りに遭った武田元繁(もとしげ)は密かに安芸制覇の準備を整えていました。
郡山城の西隣の今田に陣を張った武田の軍勢は多くの国人衆の参加により5500騎にまで膨れ上がっていました。
元繁はまず毛利吉川連合軍が落とし、毛利が吉川に譲った有田城を攻め落とし、有田城の東にある毛利分家の猿掛(さるかけ)城、そのさらに東にある毛利本家の郡山城をたっぷり恐怖させてから一突きにしてやると言います。
武田軍が有田城を包囲し、その知らせが毛利に届きます。
武田軍5500に対し毛利軍は吉川軍を入れても1500で4倍近い兵力差がありこのままでは勝ち目がないです。
出雲の月山富田城(がっさんとだじょう)では経久と正室の萩が毛利と武田の戦のことを話します。
萩が経久に「まず毛利に味方して武田を潰し、その後で毛利を攻めて城二つを頂戴しようとは考えないのか」と言っていて恐ろしい奥方だと思いました。
奥方も策略家だったのかと思いました。
経久は「今はまだその時ではない。戦においては何よりも時が肝心だ」と言い、いずれはそうするつもりなのだと思いました。
京都の大内義興(よしおき)の館に元兼からの合力(ごうりき)を願う書状が届きます。
義興は京都を引き上げると言います。
大内は毛利の援軍どころではなくなっていて、重臣の陶興房(すえおきふさ)は武田が経久に裏切られながらも大暴れしていて、すぐに帰国して大内の所領を治め直さないと危ないと言います。
義興がしみじみと「毛利も終い(しまい)か…」と言っていたのが印象的でした。
郡山城では元就と元綱が話していたところに重臣の渡辺勝(すぐる)が武田が民家に火を放ったことを知らせます。
武田軍は600騎が挑発をしに攻めてきていて、勝が出陣すると言うと元就が「無駄死にはまだ早い」と引き止めようとします。
元就が「勝の手勢は?」と聞いた時に「150」と答え微笑みながらお辞儀をし、即座に厳しい顔つきになって歩き出したのが印象的でした。
死を覚悟しているのが分かりました。
勝は150の手勢で4倍の武田軍を追い払いますが郡山城に大軍が攻め込んでくるのは時間の問題でした。
追い詰められた元就は機先を制して武田軍を撃滅しようと決意し、勝が部下達に弓矢の訓練をしているところに行きます。
元就がこの者達の引く矢で馬上の者を射殺せるかと聞くと、勝は30間(54.5455m)の距離まで近づければ必ず射殺して見せると言います。
元就が敵の大将の武田元繁をおびき出すから射殺してくれと言うと、勝は「おびき出せるはずがない。大将は常に後方にあるものだ」と言います。
すると元就は「元繁は元就など己一人の力で討ち取ってくれるといきり立つかも知れない」と言っていて、これはあるかも知れないと思いました。
元就は元繁の血の気の多い性格を読んでいました。
元就は杉のところに行き、若気の至りで辛く当たることもあったが許してくれと、明日の戦での死を覚悟した言葉を言います。
杉は元就が子供の頃奇抜な格好をしていた時に頭に結わえていた紐を保管していて、それを取り出して元就の兜に結わえて渡します。
「子供時代のように、悪さをするつもりで存分に楽しんでこい」という言葉に元就は勇気付けられます。
初陣での毛利元就。右上は大内義興、左下は尼子経久(画像はネットより)。
翌日毛利軍は吉川の援軍を加えてわずか1500の手勢で3倍以上の4800(残りの700は有田城の警固)の武田軍と向かい合います。
戦が始まり、元就の「一旦引いて敵をおびき寄せ、周りを囲んで一気に攻める」という作戦が上手く行き武田軍の有力な武将の熊谷(くまがい)元直を討ち取ります。
元繁は「こしゃくな毛利の若造め!」と激怒し周りの制止を振り切って出陣します。
毛利軍は再び一旦又打川(またうちがわ)という川の向こう側まで引き、元就は勝にいよいよ弓隊の出番だと言います。
元就は「元繁をおびき出す。川中まで来たらその時弓を引かせろ」と言い、決死の覚悟で「毛利元就見参!」と一人で武田軍の目の前に行き元繁を挑発します。
元繁は激怒して「わし一人で行って討ち取ってくれるわ!」と言い元就目掛けて突進し、そこを勝の弓隊の矢が襲い元繁を貫き討ち取ります。
元就の大活躍で圧倒的に不利だった戦を毛利軍が勝利します。
「元就のこの作戦は無謀なものでした。しかし鮮やかな結果によりこの有田城の合戦は西国の桶狭間と呼ばれるようになりました。これこそが知将、毛利元就の初陣だったのです」とうナレーションがとても印象的でした。
郡山城の評定で雪がよく戦ってくれたと礼を言い、重臣達が元就を絶賛します。
勝は今回の戦は元就の手柄だと言い、広良は敵の心の隙に付け込む戦術が見事だと言います。
元就が勝の育てた弓の達人達がいればこそだと言うと、勝は自身には到底人の心の動きは読めない、大将の武田元繁が先陣を切るとは思わなかったと言います。
福原広俊(元就の祖父)は元就の眼力に驚いたと言い、さらにたった一人で敵の大将をおびき出す勇気はとても初陣とは思えず、今に毛利に元就ありという噂が駆け巡るだろうと言います。
しかし元就は今回の元繁の死は流れ矢に当たったことにしてほしいと言い猿掛城に戻ります。
広良は元就のこの動きを初陣で元繁を討ち取ったと言われれば周辺の国人は恐れをなし早いうちに毛利を潰そうと動くため、それを阻止するのが狙いだろうと言います。
そして「早くも人の心を読んでおられる。これはまことに毛利を救う武将になられるやも知れぬのう」と言います。
「この時、志道は密かに毛利は元就に任せるべきだと確信したのです」というナレーションがあり、知将として頭角を現した元就の凄さを感じました。
この評定で元綱がずっと不機嫌な表情だったのも印象的で、元就ばかり持ち上げられることと戦で活躍できなかった自身とに苛立っているのだと思います。
元就は杉と久に「元就は嫌な人間じゃ」とぼやきます。
「人の弱いところを探し出しそこを突く。嫌な人間じゃ」と言うと杉が戦は武器だけではない、元就のような頭があればこそ大軍に勝利できたのではないかと言い、これは杉の言うとおりだと思います。
しかし元就は相手の心を読んで策略を立てる戦い方にまだ自身の心が付いていかなくて苦しんでいるのだと思いました。
経久のもとに元繁が毛利の流れ矢で死んだと知らせが来ると「何が流れ矢なものか」と言い、元就の仕業だと確信します。
そして「わしは動く。動くぞ」と言います。
今回は元就の凄さが印象的な回でした。
圧倒的に不利な状況でも策略を立てて毛利軍を勝利に導いていて、まさに知将の戦い方でした。
勝利しても浮かれず毛利が周辺の国人に警戒され潰されないように配慮していたのも印象的で、この慎重さがあるから元就は大内、尼子の大名や国人衆に囲まれた中で生き残り、やがて西国最大の戦国大名になることができたのだと思います。
各回の感想記事
第一回 妻たちの言い分
第二回 若君ご乱心
第三回 城主失格
第四回 女の器量
第五回 謀略の城
第六回 恋ごころ
第七回 われ敵前逃亡す
第八回 出来すぎた嫁
第九回 さらば兄上