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「すみれ」

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今回ご紹介するのは「すみれ」(著:青山七恵)です。

-----内容-----
一九九六年の秋から一九九七年の冬にかけて、レミちゃんはわたしたちと一緒に暮らした。
十五歳のわたしの家にとつぜんやってきて、一緒に棲むことになった三十七歳のレミちゃん。
むかし作家を目指していたレミちゃんには「ふつうの人と違う」ところがあった……。
季節の移り変わりとともに描かれる人の人のきずな、人間のみにくさと美しさ。
そして涙がおさえられない最後が待ち受ける。
いま筆力を最も高く評価されている、日本文学の正統な担い手による最高傑作。

-----感想-----
夜の海辺のような表紙が印象的な一冊
まず内容紹介にある「いま筆力を最も高く評価されている、日本文学の正統な担い手」という言葉、これは私もそのとおりだと思います。
「かけら」とこの作品を読んでみて、文章表現力の高さ、美しさを強く感じました。
作品は紛れもない王道純文学で、派手さはなくても全体を通しての文章表現力の高さで魅せてくれる作家さんです

「すみれ」の主人公は15歳で中学三年生の榎木藍子。
進路希望には福祉関係の仕事に就きたいと書きましたが、本当は小説家になりたいと思っています。
そして準主人公的存在なのが「レミちゃん」。
レミちゃんのことは1ページ目から出てきて、藍子15歳のこの年の秋、藍子たちの家に居候することになりました。
レミちゃんは37歳で、藍子の父と母の大学時代の友人とのことです。
詳しい事情までは明かされないものの、心に病気があり、それが回復して一人で暮らせるようになるまで、一緒に暮らして元気づけてあげたいという思いが父と母にはありました。
家族三人にレミちゃんが加わった特殊な状態の中、藍子の視点で物語は進んで行きます。

母の言うレミちゃん像は、
「レミは、昔はすごかった。目がきらきらして、才気走ってて、エネルギーの塊みたいだった」
とのことです。
しかしこれに対する藍子のレミちゃんへの印象は、
「だけどはっきり言って、わたしの知っているレミちゃんに、そんな面影はまるでなかった」
となっています。
何があったのか、レミちゃんはすっかり弱り、精神的にもおかしくなってしまっていました。

しかし弱ってはいても、感性の鋭さまで失われたわけではありません。
藍子の父と母は、家によく人を招いていました。
学生時代の友達や、会社の同僚や、タップダンス教室の仲間など、そういった人達を呼んで、よくホームパーティを開いていました。
その席に藍子とレミちゃんも居るのですが、隅っこでニコニコしている藍子に対してレミちゃんは「藍子、つまんないんならあたしと一緒に逃げよう」などと誘ってくるのです。
実際たいして面白いとは思っていない藍子なのですが、まさかニコニコして楽しそうにしている自分の心の内を見破られるとは思わず、ちょっと焦っていましたね。
そしてこの「ニコニコしているのが楽しいとは限らない」は伏線になっていて、終盤で今度はレミちゃんがニコニコしている場面がありました。
直後に非常に激しい修羅場があるのですが、この時レミちゃんはニコニコしていても、内心は泣き出したい、叫び出したい心境だったんだろうなと思います。
伊坂幸太郎さんみたいな分かりやすく「こう来るか!」という感じの盛り上がる伏線ではないですが、これはまさしく青山七恵さんらしい、綺麗な文章表現による純文学的伏線だと思います。

激しい修羅場とともに訪れた、最後の展開。
修羅場であるのに、悲しい展開であるのに、文章が流れるように滑らかであるため、妙にすらすらと読めたのが不思議な感覚でした。
レミちゃんが藍子に
「あたしの本当の本当の友達は、今までも、これからも、あんた一人だけ。だからお願い、藍子だけはあたしを忘れないで」
と言っていたのが救いかなと、私は思いました。


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