今回ご紹介するのは「イメージの心理学」(著:河合隼雄)です。
-----内容-----
ユング心理学はイメージの心理学である。
人類の意識の深層に生じる神話、昔話、象徴、記号。
それらの生命力を鍵に、夢や幻覚など個人のイメージ体験の根源にひそむ〈人間の心的現実〉を芸術、宗教、セラピーほかさまざまな角度からさぐる。
-----感想-----
「ユング心理学入門」で初めて河合隼雄さんの本を読みました。
かなり抽象的な書き方になっていて言葉の意味を捉えるのが大変でしたが、今回の「イメージの心理学」はその本よりは分かりやすかったです。
心理学には大きく分けて実験心理学と深層心理学があり、主流は実験心理学とのことです。
実験心理学は物理学を駆使して、主観を排除した「自然科学」としての心理学を築こうとしているのが特徴とのことです。
河合隼雄さんは深層心理学(その学派の一つであるユング心理学)を専門にしていた方で、ユング心理学の日本における第一人者です。
冒頭に書いてあった、人間の心の「主観を排除した「自然科学」では解明できない部分」についてのことが興味深かったです。
実験心理学は主観を排除し一切を客観的に見るため、人間を「物」のように扱います。
これは有効な方法であり実際にこの方法によって人間の行動パターンが解明されていったのですが、この物理学を駆使した自然科学の手法は、「人間の心の悩み」を解決するのには役に立たないとありました。
「物」に対しては有効ですが「心」に対しては威力を発揮できないです。
「人間を相手とする場合、それを「客観的対象」とするのではなく、むしろ感情を共有するような態度を取ってこそ、事態が詳しく分かってくる。」
これはそのとおりだと思います。
悩んでいる人から見て、「それならば、こうだ」と杓子定規な理屈だけをこねる冷淡な人には何も話す気にはならないでしょうし、共感しながら聞いてくれる人のほうが色々なことを話しやすいと思います。
この本では客観ではない部分について、カギ括弧付きの「私」という言葉を使っていました。
そして「私」こそ、近代の自然科学が研究対象外として最初に除外したものとありました。
この「私」と向き合うのがユング心理学のような深層心理学となります。
私的には実験心理学こそが自然科学的なのだからそれだけで良いとするのではなく、実験心理学と深層心理学、どちらか片方ではなく両方が揃うことが大事だと思いました。
人間は「物」ではないのですから、深層心理学も必要だと思います。
ユングは「イメージは生命力を持つが明確さに欠け、概念の方は明確ではあるが生命力に欠ける」という意味のことを言っていたとありました。
たしかにイメージには言葉では言い表しきれないものがあり、概念は言葉として明確になっているものの無味乾燥な印象を受けるということだと思います。
モーツァルトについて書かれていたことは興味深かったです。
モーツァルトは彼の交響曲を一瞬のうちに聴くことができたと語っていて、その一瞬のイメージ体験を一般の人々に伝えようとして楽譜に記すと、演奏時間が20分間に渡るような交響曲になったとのことです。
心の中に湧き起こってきたイメージがそのまま交響曲になっています。
そして音楽家や小説家など、芸術分野の人が優れたものを創造する際には、イメージが大きく関わっているとのことです。
無意識について、この本でも「個人的無意識と普遍的無意識(本によっては集合的無意識)」の概念が出てきました。
ユングは無意識には個人の経験と無関係な層があると考え、それを普遍的無意識と名付けました。
人類が共通して持つイメージのことで、これは面白い概念だと思います。
例えば太陽について日本神話でもギリシャ神話でも太陽神が登場したり、秘境の地の部族も太陽を神として崇めていたりするなど、世界的に同じイメージを持っているものが普遍的無意識となります。
男子中学生が不登校になった場合を例に説明されていた周りの人の心境は興味深かったです。
不登校は周りの人にとって困ったことなので何とかしようと思い、「原因」を探し出そうとします。
そんな時本人はなぜ登校できないのか自分でもはっきりと言葉に出来ない場合があり、ただし周りから問いただされて何か原因を言わなくてはと思い、「先生が怖い」や「中間試験で悪い点を取ったから」などと言ったりします。
周りはその怖い先生を改善しようとしたり、試験の結果があなたより悪い人も沢山いると慰めたりして学校に行かせようとするのですが、その原因は本当の原因ではないため、男子中学生は引き続き学校に行くことができないです。
すると周りは原因を本人自身に求め、「怠けている」「精神病だ」「母親が過保護だ」などと言ったりします。
この流れについて「要するに、人々は早く「安心」したいのである。」と言っていたのは核心を突いていると思いました。
原因不明の登校拒否の子供は周囲を不安にするので、その了解できない現象を早く片づけるため、「怠けている」「精神病だ」「母親が過保護だ」などと原因を作り出し、自分自身を安心させているとのことです。
そしてそのようなことをしないのが心理療法家(臨床心理士などのこと)であると筆者の河合隼雄さんは考えているとありました。
人間が寝ている時に見る夢について、マラヤ(東南アジアのマレー半島)のセノイ族のことが書かれていました。
セノイ族は夢を非常に大切にする部族で、年長者は幼少の子たちが語る夢を朝食の時間によく聴いてあげているとのことです。
その夢について問いかけをしたり、励ましてあげたりしています。
「夢を生きている」という表現が印象的でした。
さらに夢を生きているセノイ族は数世紀に渡って警察、監獄、精神病院を必要とせず平和に暮らしてきた極めて珍しい部族とあり、これには驚きました。
そしてフロイトやユングが苦労して確立していった「夢分析」と似たことを毎朝しているのだから数世紀に渡って心を病む人がいないというのも納得です。
この本では自然科学が発達して何事も合理的になった結果、その反作用として心身症になる人が増加したということが何度も書かれていました。
例を挙げると、まず一つ目は古来からの儀式や祭りを非合理なこととして排除した結果現代人は心身症になりやすくなったとのことです。
儀式や祭りには普遍的無意識との対話になるようなものがあり、その機会を排除した影響は大きいようです。
二つ目は宗教のシンボル(キリスト教の十字架など)が自然科学の力によって「ただの物である」とされ、魅力がなくなってしまったとのことです。
これについては「20世紀は、一度棄てられたシンボルの意味を再点検することに大いに力が尽くされた時代である。」とあり、宗教のシンボルの価値がもう一度見直されたようです。
三つ目は現代人は詩的言語を喪失したためにアイデンティティを見失い、多くの人が心理療法家を必要とするようになったとのことです。
変わりに科学的言語という、極めて客観化された言葉をよく使うようになり、それは便利であり強力でもあるのですが、その「心」を感じさせない無味乾燥ぶりが心身症につながっていくようです。
そして私が文学小説が好きなのはそれが詩的言語だからだろうなと思います。
この本も「ユング心理学入門」と同じく抽象的な文章は多いですが神話や昔話や芸術家などを引き合いに出し、人間が抱く「イメージ」について語っているので興味深かったです。
自然科学の力は偉大ですがあまりに何もかもを合理化しようとするとその圧迫感に心が持たなくなると思うので、人間の心は物ではないという考えのもと、自分自身の心が感じていることに注意を向けてあげたいと思います。
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