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縮景園 新緑の良さ その3

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※「縮景園 新緑の良さ その1」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「縮景園 新緑の良さ その2」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

縮景園は縮む景色の園と書きます。
縮景とは自然の風景(多くは名所や四季絵)を模して庭園内に作られた風景のことです。
縮景園の名称は幾多の景勝を聚め(あつめ)縮めて表現したことに由来し、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられています。
とても良い日本庭園で歩けばたくさんの緑や花、古風な建物などが迎えてくれ、景色にも工夫が見られ、私は縮景園が好きです


-------------------- 縮景園 新緑の良さ その3 --------------------


沢の流れを横に見ながら、歩いて行きます。




白龍泉(はくりゅうせん)。
井戸水を使用したとても小さな滝です。


右上に茅葺き屋根の建物が見えます。




「その2」に登場した明月亭です。
今回は別の道から到着しました。


新緑の道を進みます。


再び濯纓池(たくえいち)という池のほとりに来ました。


正面に見えるのは「その1」に登場した超然居(ちょうぜんきょ)という島にある四阿(あずまや)です。
池の反対側まで歩いてきました。


池に浮かぶ小さな島には亀が上ってきて甲羅干しをしています。


清風館と跨虹橋(ここうきょう)。






原爆慰霊碑。
一枚の写真を手がかりに昭和62年(1987年)7月31日この地に埋葬されていた原爆死没者64人の御遺骨を発掘しました。
御遺骨は同年8月6日に平和記念公園内の原爆供養塔に納骨されました。
原爆供養塔は「平和記念式典前日の平和記念公園」のフォトギャラリーなどに登場します。




祺福山(きふくさん)。
広島藩5代藩主浅野吉長はここに稲荷神社を建立し、広島藩内の平穏無事と子孫繁栄を祈願したと伝えられています。
昭和20年(1945年)の原子爆弾投下によって消失し、現在は広島市にある饒津(にぎつ)神社内に復元されています。


跨虹橋は半円型のぽっこりとした形が特徴です。




池には大小14個の島があり、そういった島々のことを島嶼(とうしょ)と言います。


島は長寿を祈願して鶴と亀をかたどっています。
写真は亀の形の島です。


丘を新緑とツツジが彩っています




16時近くになり西日になってきました。


この丘一帯は「臨えい岡(りんえいこう)」と呼ばれ、この場所から宮島を望むと雲のかかった弥山(みせん)山頂が見えたと言われています。


この場所は写真奥が明るい新緑で陽の気に満ちているように感じ、とてもワクワクしながら歩きました


跨虹橋は階段になっていますが摑まるものがないので気をつけたほうが良いです。


色鮮やかに咲くツツジ。


天高く飛翔するような新緑。


水面すれすれで曲がっている松の木。
木が自身で水に沈まないように向きを変えるのだと思います。


悠々亭。
茅葺き屋根の四阿です。


有年場(ゆうねんじょう)。
小さな水田で、藩主が田植えをしてその年の五穀豊穣を祈願したと伝えられています。






大銀杏。
樹齢は推定200年以上で、昭和20年(1945年)の原子爆弾投下後の火災から生き残った木の一本です。


看花榻(かんかとう)。
座席はロクロ式に作られ回転するようになっていました。
この場所で藩主が対岸の東照宮に続く桃林の花や京橋川を行き交う川船を眺めていたと言われています。


香菜圃(こうさいほ)。
宇治茶と藩内の有名品種の茶を植えている茶畑です。


毎年八十八夜前後に新茶摘みが行われています。


写真奥の高くなっている場所は「迎暉峰(げいきほう)」と言います。
園内最大の築山で富士山を縮景したとも言われています。
またこの頂上から広島城下や広島湾、遥か宮島まで望むことができたと言われています。


迎暉峰からの眺めです。
縮景園を広く見渡すことができます。


縮景園、とても明るい気持ちで歩くことができました。
緑、花、大きな池、建物などのどれもが目を引き、見ていると自然と気持ちが明るくなっていくのが素晴らしいです
ぜひまた歩きに行きたいと思います


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

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※3号館はこちらをどうぞ。

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